リミッターを外す ということ。
リミッターを外せ。
— 菅野 光憲 (@michaan1107) 2016, 1月 6
リミッターが無い人っていうのが一番強い。次点としては、リミッターを意識的に外せる人。
— 菅野 光憲 (@michaan1107) 2016, 1月 6
リミッターを意識的に外すには、「直感を信じる」。手堅い選択をするためには先行事例を仕入れることが大事だけど、先行事例の中に本質がないなんてことはいくらでもある。
— 菅野 光憲 (@michaan1107) 2016, 1月 6
そんな時に、先行事例の山に、直感のスパイスを加えてみると、いい具合にリミッター外れの打ち手が見えてくる。
— 菅野 光憲 (@michaan1107) 2016, 1月 6
リミッターを外していかないと、未踏の地へ足を踏み入れることはできない。
— 菅野 光憲 (@michaan1107) 2016, 1月 6
正解とは、在るものではなく、創るものだ。
人生、何度となく「選択」に迫られることがある。
選択した内容は、その瞬間において正解もクソもなくて、
あとから、その選択を自分自身の力で正解とすることができるかどうか次第だと思ってる。
過去、とある選択した自分自身を肯定できるかどうかは、今の、未来の自分にかかっている。
その気持ちで今日も精一杯前進していきましょうぞ。
年末年始の風景@石巻
トピック「年末年始の風景」について
仙石東北ラインの車窓より。 #野蒜 #車窓 #sea #sunset #夕日
#石巻 #ishinomaki #日和山公園 #鹿島御児神社
年末年始は地元石巻に帰省をしてきた。
まだまだ更地は多いけれど、仙石線から見る風景の中には、建築中のお家がたくさんあって、新設予定の駅の準備や、区画が整備されて、これからまさに新しい街が生まれようとしているような風景も見れて、復興を確かに感じることができたのは良かった。ただ、まだまだ道のりは長い。
もうすぐ、あれから5年。
採用といえば営業。営業といえばヒアリング。採用といえばヒアリング。
採用=いかに求職者をグリップするか
採用活動において必要なのは求職者に対するグリップ力(惹きつける力、引き止める力)かと思います。採用担当者は、相対する求職者に即して志望動機を設計できるかどうか。求職者がしっくりくる志望動機の解釈を提示することが大事であろうかと思います。
ヒアリングが超重要。
何がその求職者のトリガーになるかを突き詰める
ただ、求職者にとって「しっくりくる」動機を創っていくことができるかどうかは、求職者に対するヒアリングにかかっているかと思います。採用活動はさながら営業活動に例えられることが多く、営業活動においても重要なのは、ヒアリングであります。
あとは自社内にあるカードの中から適切なカードを引けるかどうか
で、あれば。です。その求職者にとって最も惹きつけられる要素が自社内の何なのか。それを適切にチョイスすることができれば、求職者をグリップすることができます。もちろん、ヒアリングの観点は多岐にわたり、そのヒアリングポイントをミスると適切なカードを引きことができないか、他社のカードの方が魅力的に感じられることになるので、やはり、採用といえばヒアリングなんだぞと、こんな風に思うわけです。
志望動機を設計する
→逆を言うと、設計した志望動機に共感できない人は採用対象外
もちろん、誰かれ採用すればいいわけではないので、志望動機を設計する中で、「うちじゃない。」という動機は何か、についても同時に明らかにするべきです。
継続は力なり
たとえば、文章がうまくなりたい、という人がいて、人に読んでもらいたいがために、旬の話題で誰でも興味をもってくれるものを書いたとしたら、読んでもらえますよね。これはそのときは「勝ち」なのかもしれない。でも、その旬が終わった時にお前何書くの?となったら、何も書けなくなってしまうわけです。
勝ち続ける人になりたいんだったら、外から与えられた価値観だけで判断してちゃだめで、自分自身が楽しみというか成長を見つけていかないといけない。勝ち続けるように自分を「矯正」していかなければいけないんです。
これ、ごもっともだなと思っていて、1回目の勝ちと、2回目、3回目の勝ちというのは質が違うと思っていて、1回目の勝ちって、大きくバットを振ってみたら、たまたまホームランになったっていうことが少なくないのですよね。でも、2回、3回とホームランが続くとこれはいよいよ「たまたま」ではなくなってくるわけで。
1回ホームランを打てただけ、あるいはその時点の人は、「私は、ホームランを打てる人」というわけでは決してなくて、継続していくことで、初めてそのブランディングを確固たるものにできる。
ゲームでは、技術も反射神経もそんなに差が出ない。その中でどう勝たなきゃいけないかというと、あとは、「一見正しく見えることが正しくなくて、一見正しく見えないことが正しい」といった、他の人が発見できていないようなことを自分で発見して試していくしかないんです。
ゲームに限ったことでは決してないはずです。「一見正しく見えることが正しくなくて、一見正しく見えないことが正しい」と思う、信じるためには、このあとの文章にもありますが、それなりのパワーが要ります。いわゆる胆力みたいなものも必要かと思います。7:3の割合で、基本になる動きを残しておくことが確かに精神衛生上も健全だし、周囲の信頼を損ねるリスクも最小限に抑えられるのかなと思います。
新年早々、大変参考になる記事でした。
新年ご挨拶
トピック「初投稿」について
あけましておめでとうございます。
— 菅野 光憲 (@michaan1107) December 31, 2015
2015年、ご訪問してくださった皆さん大変お世話になりました。
2016年も、引き続きよろしくお願いします。
2016年は自分にとって変化の年になる予感がしています。
大した情報を書いておりませんが、読んでくださる人がいる限りは、
自分自身の備忘のためにも、情報発信を続けていきたいと思います。
今後共皆さんよろしくお願いいたします。
Mitsunori Kanno